MAHA
数多くの個性溢れるダンサーをベリーダンス界に輩出し、2020年惜しまれつつ解散した伝説のカンパニー「アルカマラーニ」。その主宰者であり、現在もダンサー、パフォーマーとして精力的に活動を続けるMAHAが語る「自分らしいスタイル」の見つけ方とは?
●ラッカーサで出会った「特技」で輝くダンサーたち
―誰しもできないこと、苦手なことがあるのは当たり前。ベリーダンスを踊る時くらいは<優等生>である必要はないのではないでしょうか?
そう思うようになったきっかけは、
90年代初頭サンフランシスコ郊外で開催されていたアメリカ最大級のベリーダンスフェスティバル「ラッカーサ」。
プロ・アマ関係なく踊れるオープンステージでは演目はまさに自由で、詩の朗読とともに踊る人もいれば、子供からおばあちゃんまで親子三代で踊っている人たちもいました。
またラッカーサでは即興や小道具、講義や映像の時間…さまざまなテーマのワークショップがあり、講座を受け持っている先生も違う講座に受講生として参加していることも。とはいえ先生によって守備範囲が違うようで、得意なことを教えるときやパフォーマンスではすごい迫力なのに、テーマが変わるとめっぽう苦戦していることも多かった。その様子をみて「必ずしもオールマイティである必要はないんだ」と気付きました。
●誰かのコピーでなく自分自身で
―ベリーダンスはもともとシミーやアンジュレーション等のシンプルな動きだけで踊られていましたが、時代とともにバレエや他ジャンルのスタイルを柔軟に取り入れて発展してきました。
例えば私の師であるスヘイラ・サリンポーは、80年代にアメリカ西海岸で流行っていたブレイクダンスの動きをベリーダンスに取り入れてみたところエジプト人から大変ウケたそう。私自身もエジプト大使館のパーティで踊っていたとき、婦人方が気に入ってくださったのも、元々エジプトにはない<剣の踊り>でした。
―ベリーダンスのパフォーマンスは<自己紹介>のようなもの。私はもともと振付をそのまま覚えるよりも、剣やダブルベールといったいろいろな小道具&テクニックを取り入れたりするほうが得意。またモノを作ることが好きなので、アイディアが浮かんだらイチから衣装や小道具を手作りすることも多いです。
―これまでの弟子たちも、枠にとらわれず「自分を表現したい」という人が多かったですね。踊っているところをみれば、身体にインプットされた踊りの経験はもちろん、生きてきた道のりや性格といった<その人そのもの>がみえてきます。キレイな人や上手な人はたくさんいるからこそ、誰かのコピーではなく自分しかやっていないことを探していきたいと常に考えています。
●他ジャンルに触れて自己理解が深まった!
―以前から舞踏やパントマイムなど一流の舞台人によるワークショップを不定期に開催してきました。他ジャンルのアートに触れることは表現の幅を広げるのに有効ですし、いざ経験してみるとベリーダンスと共通する部分もあり、自分自身がやっていることを再確認するよい機会にもなっています。
50代半ばを過ぎ、スクールの経営やショーのプロデュースに費やしていた時間を自分のために使えるようになって早速はじめたのが<お稽古事>! 現在はアラビア語と日本舞踊を習っています。
とくに日本舞踊は習い始めて4年以上になりますが、日本伝統の動き方=<狭いところ>で< ほとんど動かない>のにお客さまを惹きつけるテクニックが素晴らしくて。ベリーダンスを踊るときもあまり動きすぎないよう心がけてきたのですが、そんな自身が自然と意識してきたことへの裏付けにもなっています。
ゆくゆくは<日本スタイル>のベリーダンスを説明できるようになりたい! 来たる年波に抗うことなく、「パフォーマーMAHA」として今後も進化を続けていきたいと思います。