及川景子
https://www.facebook.com/kyoko.oikawa.9/about/
今年で没後50年を迎える、近代アラブ音楽の黄金時代を代表する歌手「ウンム・クルスーム」。生涯でリリースした楽曲は300曲以上! その中にはベリーダンスのためにアレンジされ、いわゆる「タラブ/クラシックソング」としてダンサーたちに愛されている楽曲も多数ある。前編は、これほどまでの大スターが誕生した<背景>について。20年以上に渡りエジプトやチュニジアに通って現地の音楽家に師事し、現在はウンム・クルスームの楽曲解説やレクチャーも数多く手掛けるアラブヴァイオリニストの及川景子(オイカワキョウコ)さんに教えていただきました!
●才能を見出され、アラブ芸術の最高峰が集まる大都市カイロへ!
―ウンム・クルスームはいわば時代から「選ばれた存在」。メディアの普及によって一般の人々が音楽を享受する環境が生み出されたタイミングで、天賦の才能と努力、そして情熱を兼ね備えた彼女が生を受けるという<千載一遇の奇跡>によって誕生した、稀代の大スターです。

―まず最初に、彼女の略歴からお話しましょう。
ウンム・クルスームが生まれたのは1900年前後のエジプトの農村地帯。父親がイスラム教の宗教指導者をしていた影響で、彼女自身も幼少期からクルアーン(コーラン)の詠唱や宗教歌を学び、その声の才能が評判を呼んで父親と一緒に近隣の村を中心に巡業するようになりました。多くの人前で歌うことを宗教的また社会的に懸念して、父親は彼女にベドウィンの少年の格好をさせてステージに立たせたという逸話が残っています。
アラビア語の歌を歌う上で、クルアーンの詠唱を学ぶことは非常に重要な素養となります。発音や旋律、節回し…誰が聴いても聴き間違えることがないよう<正しく明確な発音>で、そして神の言葉に値する<美しさ>をもって詠唱するこの技術を、幼い頃から学べる環境にあったのは歌手としては恵まれたこと。クルスームが歌い手としての道を歩む上で運命的な幸運だったと言えるでしょう。
―やがてウンム・クルスームの歌声は広く評判を呼び、1920年代半ば頃は家族とともにカイロへ移住。超一流の詩人や作曲家、演奏者たちが彼女のもとに集まり、近代アラブ音楽の黄金時代を代表する作品が次々と生み出されました。
1975年に没するまで、
生涯でリリースした楽曲は300曲以上!
その楽曲には大きく<2つの路線>が見て取れます。
●より芸術性を追求した、古典的で洗練された楽曲
●親しみやすい、大衆的な要素が強い楽曲
―前者は<アラブ新古典主義>として文化芸術的に大変高い評価を受けています。代表曲のひとつが『al-Atlal』。格調高いフスハーの詩とあわせて、クルスームのレパートリーの中でも「究極の歌唱芸術」「アラブ新古典主義における到達点」が結実した作品として位置付けられています。
―一方、後者はシンプルで覚えやすい口語で書かれた詩が中心で、同じフレーズを何度も繰り返すうちに観客もすぐ歌詞を覚え、一緒に楽しめるような身近な曲調です。ベリーダンスでもおなじみの『Alf leila wa Leila』『Leilat Hob』などは、こちらの大衆路線で人気を集めた楽曲のひとつ。歌がはじまる前の長い<前奏>部分がダンス向けにアレンジされ、よく踊られています。
●ラジオの普及とともに<大スター>としての地位を確立
―彼女の楽曲がじょじょに世に広がっていくなか、時期を同じくしてレコードやラジオ、そして映画といったメディアが誕生し発展しました。これこそ「時代が彼女を選んだ」と言われる一つの大きな要因です。
とりわけ<ラジオ>の影響は大きく、毎月第一木曜日に行われたウム・クルスームの定期コンサートはアラブ各国へとライブ中継され、その時間は皆がラジオに釘付けとなり、通りから人々の姿が消えたと言われています。
当時、一般の人々にとって音楽は、結婚式やお祭りの生演奏でしか聴けない特別なものでした。音楽を楽しむのは、ごく限られた人にとっての贅沢。ウンム・クルスームのコンサートに行くことができるのも、大統領をはじめとするVIP層や、都市部の裕福な人々が中心で、それ以外のチケットを買ってそこに行くことができない人々にとっては、遠い夢のような話でした。
それがラジオのスイッチを一つひねれば、大スターの歌声が流れてくるなんて!
この潮流は何もエジプト・アラブに限った話ではありませんが、20世紀前半のラジオの誕生は、音楽シーンにとって革命的な出来事でした。ほぼゼロの状態から突如として音楽という娯楽が身近なものになった人々の驚きと熱狂は、私たちの想像を遥かに越えるものだったはず。今の私たちにとっての音楽がいつでも買えるペットボトルの水だとすれば、当時の人々にとってのそれは、乾ききった大地に降り注ぐ恵みの慈雨のようなものであったに違いありません。
●才能、時間、人員…楽曲制作に費やされた桁違いのエネルギー
―もう一点、クルスームやその時代のスターたちの音楽について注目すべきは、今よりもはるかに多くのエネルギーがひとつひとつの曲に注がれていたということです。
「サブスク」に「ながら聴き」…
日々無数の楽曲が新しく生み出されては次々と消費される、いわば音楽が買い手市場にある現代とは異なり、当時は売り手市場。ましてやクルスームほどの大スターともなれば、一曲を生み出すにもその時望める最高の才能を結集し、ふんだんに時間とお金を費やすことが可能だったのです。
―こうして近代アラブ音楽の黄金時代は、長いアラブ音楽の歴史の中でも類を見ないほど巨大なムーブメントとなり、ウンム・クルスームはアラブメジャーシーンに君臨した大スターとなりました。この頂に女性の身でただ一人、歌のみの力で登りつめるというのは初めてのこと。そしてこの先も、おそらく誰も到達し得ない孤高の存在であり続けるでしょう。













