起源
世界最古の踊りと言われるベリーダンスは、女神崇拝のための儀式として巫女たちが踊ったのがそのはじまりだと言われています。そして、豊穣を祝うための踊りとして、脈々とアラブの女性たちに受け継がれていきました。
現在の洗練されたショー・スタイルはインドから西へと旅を続けたジプシーたちが作り上げたと言われています。その土地土地の踊りを自分のスタイルに取り入れる才に長けていたジプシーたちは、アラブの民族舞踊を自分たちの踊りに取り入れ、ストリートパフォーマンスを行うことで、生計を立てていました。衣装にコインが縫い付けられているのは、全財産をアクセサリとして身に纏っていた彼女たちの名残と言われています。こうしたジプシーたちはトルコではロマ、エジプトではガワージ、ガガルと呼ばれ、現在でも結婚式などに呼ばれ演奏を行います。またプロのダンサーやミュージシャンにもジプシーの血を引く者が多くいます。
民衆に根ざした踊り
イスラム教国であるアラブ諸国では、一般家庭の女性がプロのダンサーになることは稀です。
ただし、アラブ女性たちのほとんどがベリーダンスを幼少の頃より自然と踊ることができ、自宅などで女性だけのダンスパーティーを開く習慣があります。
また家にミュージシャンや祈祷師を呼んで、ザーと呼ばれる悪魔払いの儀式を行う地方もあります。さらに女性の地位の低いイスラム教国では病院で治療を受けられない女性も多く存在しますが、そんな環境の中ベリーダンスは女性特有の病気を防ぐための踊りとして踊られている地方もあるそうです。
エンターテイメントとしてのベリーダンス
ショーとしてのベリーダンスが盛んなのは、エジプト、トルコですが、モロッコやギリシャ、ドバイ、レバノンなどでも見ることができます。とりわけ、アラブ・エンターテイメントの中心と言えるエジプトのカイロでは一流ホテルのクラブでスターダンサーが10-20名のオーケストラを従えて踊る豪華なショーが夜な夜な繰り広げられています。また結婚式でプロのミュージシャンとベリーダンサーを雇い、セレモニーを盛り上げてもらうことが式を挙げるカップルのステータスとなっています。
アラブの民族舞踊
日本各地にも盆踊りや阿波踊りといった地域に根ざした伝統的な踊りがあるように、アラブの国々にも地域ごとに特色を持った踊りがあります。農民、漁師、戦士、町の女性の踊りなど、地域により異なるスタイルの音楽と踊りが存在しますが、それら民族舞踊はベリーダンスのショーでも踊られます。
アラブ諸国以外の地域のベリーダンス
意外なことにベリーダンスが古くから盛んなのはアメリカで、60-70年代にイラン、アルメニア、トルコなどから移民したダンサーやミュージシャンが立役者となり、魂を解放する踊りとしてヒッピー全盛の時代に爆発的人気を博しました。さらにアメリカではジャズやヨガ、ヒップホップなどの動きを融合させた、「トライバルフュージョン」というベリーダンススタイルも盛んです。
日本では2006年頃から人気に火がつき、現在では人気のお稽古事になっています。またベリーダンス人口の増加に伴い、世界各国で活躍するダンサーや講師が来日し、大きなフェスティバルが東京のみならず地方都市でも開催されるようになりました。アメリカ、日本だけでなく、ベリーダンスはヨーロッパでは古くからアラブ系移民を中心に人気を博し、ロシア、ウクライナからは世界で活躍するトップダンサーが多く輩出されています。南米ではブラジルやアルゼンチンなどで古くから盛んで、最近では韓国、台湾、中国などアジアの国々もベリーダンス大国の仲間入りを果たしています。
日本でのベリーダンス
日本では1980年代頃より、アメリカや本場エジプトで学んだ先生達が、ベリーダンスを日本に持ち帰りました。
1990年代から徐々に認知度があがり、OLのお稽古事文化と共に広まり、ほとんどのカルチャーセンターでベリーダンス講座が開かれ、2000年前後には「ケイコとマナブ人気習いたいお稽古事ランキング」※リクルート学び総研より のベスト3に毎年あがるほどのブームとなりました。
また、その後の美容・健康ブームにも乗り、フィットネスクラブでも取り入れられるようになり、ますます一般的に習えるようになりました。
エジプトやトルコ、アメリカなど諸外国から取り入れた日本のベリーダンスは多種多様なジャンルを含み、主流であるエジプシャンスタイルや各国のフォークロア、ジプシーのスタイル、アメリカ発のトライバル、他のダンス要素を取り入れたフュージョンなどもあります。
いずれも、年齢や体型問わずに踊ることが出来、健康にも良くメンタルケアにもなり、幅広く普及しております。
その一方で、豪華なオーケストラを率いての大舞台でのショーなど、芸術性の高いエンターテイメントでもあります。