編集Nこと
西村薫
https://www.instagram.com/tabi_no_hint_book/
2007年から2020年までの間、私たちに最新のベリーダンス情報を提供してくれた雑誌『Bellydance JAPAN』。ダンサーの間では<ベリジャパ>の愛称で親しまれてきたこの雑誌、「毎号買ってた!」「今も本棚に並んでる」という方も多いのでは? 今回は、創刊から最終号までを担当した元副編集長・西村薫(ニシムラカオル)さんに、幅広い読者に愛されてきた雑誌制作の裏側をたっぷり伺いました!
●Webで情報発信…できなかった<事情>とは?
―まず最初に…
最終号の表紙で「これからはWebで情報発信します!!!」と大きく謳っておきながら何の更新もないままWebサイトも閉鎖となり、多くの読者やダンサーの皆様を結果的に裏切る形となってしまったこと、大変心苦しくお詫び申し上げます。実は最終号を発行した後に会社のM&Aがあり経営陣が一新。親会社の経営方針により、ベリーダンスはじめダンス関連の事業からはいったん撤退することになったんです。
―現在は<イカロス出版株式会社/旅行・カルチャー編集統括部>にて、旅行ガイドやレシピ本といった書籍などを手がけています。なかにはアラブやトルコに関する本など『Bellydance JAPAN』時代に培った知識や肌感覚をいかしたものも。2024年夏にはダンサーさんのご紹介で、代々木公園で行われたトルコフェスティバルで<トルコ料理のレシピ本>を出店販売する機会にも恵まれました。この時はコロナ明け以降、久しぶりに多くのダンサーさんにお目にかかることができました。皆さんキラキラと美しく、そして休刊前と変わらず気さくに接していただき本当に嬉しかったです!
●イチ生徒から専門誌の編集者へ!手探りで情報を集める日々
―ベリーダンスとの出会いは今から20年以上前。レストランでベリーダンスショーに遭遇し、その時のダンサーさんの媚びない格好良さに惹かれて、会社帰りでも通えるカルチャースクールに通いはじめました。
当時、弊社はフラやフラメンコの媒体を続々発行していた時期。「ニシムラがベリーダンスを習っているらしい」という話は社内上層部の耳にも入り、2006年『Bellydance JAPAN』の前身にあたるムック『はじめてのベリーダンス』の制作に携わることになりました。
―社内では唯一のベリーダンス経験者とはいえ、私は一介の<生徒>。ベリーダンスの詳しいことなんて何ひとつ知らなかったし、調べようにも体系立てて説明している本やサイトもありません。
どこから手をつければ?
そもそも何が正しいの?
そんな私が『専門誌』を作っていいんだろうか?
取材する人にお話を伺いながら一つ特集を作るごとに新しい知識が増えていき…毎号ただただその繰り返し。その心持ちは最終号となった52号まで変わりはありませんでした。
このあたりの詳細は
創刊10年にあたり、編集長から無茶ぶり(!)されて書き連ねたものがあります。当該ページ画像を置いておきますので、もしご興味ある方がいらっしゃいましたら下記リンク先をご覧いただけたらと思います。
『Bellydance JAPAN』VOl.40より、『編集部Nの回顧録』
・その1
・その2
・その3
●媒体の<役割>とは?企画会議では<経験者>ゆえの葛藤も
―季刊誌なので発行は1年に4回。
制作が終了するとすぐ次号の企画会議があり、特集内容を決めるための議論はしばしば6~7時間に及ぶこともありました。
創刊当初の方針は<憧れの喚起>。
ニューヨークやトルコ、韓国、パリ…海外取材や来日した海外ダンサーへのインタビュー中心の誌面構成でした。
―私は自分自身が「習うからには上手になりたい」と言う気持ちが強かったこともあり、<テクニック>や<身体作り>、<表現>といった企画を提案することが多かったです。これがはじめて採用された21号の「苦手を克服!」特集は、売れ行き&読者の評判も上々! その後もストレッチやエクササイズ系の特集は定期的に掲載されるようになりました。
ただ、こうした特集はうっかりすると内容がマニアックに陥りがち。「ベリーダンスをはじめたばかりの読者がいることも念頭に置くように」と、編集長からダメ出しを受けることも多かったんです。
たしかに読者が知りたいことは、その人の目的やレベル、習う年数によっても異なります。ベリーダンスの全体像が見えてきたと思ったらまた新たな課題…
「専門誌の立ち位置って?」
「媒体の役割とは?」
を考えあぐねていたそんな時期、
とある発表会の楽屋で目にしたのが、普段と違うメイクや衣装に触れて楽しそうな生徒さんたち!
心からの笑顔を目のあたりにして、
「踊りがあることで人生が豊かになった」方々がいることに気付くことができました。以降は上手くなるためだけでなく、幅広い方々がもっとベリーダンスを楽しむためには、豊かなダンスライフのお手伝いをするには…と特集立案の幅も広がったように思います。
―「たら、れば」の話になってしまいますが
もし『Bellydance JAPAN』が休刊していなければ、『セクシー田中さん』の登場人物たちをモチーフにした表紙を作りたかった! 全巻発売直後に買って愛読していた個人的にも大好きな漫画だったので、もしかしたらドラマ放映時に誌面でコラボ企画等もできたかもしれないと思うととても悔しいです…。
●『Bellydance JAPAN』は人生の1ページ!
―今回このインタビューを受けるにあたり過去の号を掘り起こしてみたのですが、どの号も思い入れ深く、作っていた当時に世の中で起きたことや自分の身に起きたことと結びついて思い出されました。
なかでも印象に残っているものをしいてひとつだけ挙げるとしたら、
2011年10月発行の17号。
2011年東日本大震災が起こった直後に制作した号で、急きょ誌面でのチャリティーオークションを企画したところ、あっという前に国内外のダンサーさんから27着もの衣装が集まりました。都内でもまだ余震が続くなか、細長いビルの10階で揺れに怯えながら撮影したんですよ。
―取材でお世話になった方には毎号手作業で見本誌をお送りしていたのですが、1号あたり平均80人、多数のダンサーさんにご登場いただけた号では100件以上のラベル貼りをしていました。
13年間で書き溜めた取材ノートは50冊以上!
会社のM&Aに伴う社屋引っ越しにあたり、これらは泣く泣く処分せざるを得なかったのですが…ご協力してくださった方々あっての『Bellydance JAPAN』。お話ししていただいたことはワタシのアタマとココロに残り続けてます♪