エジプトのプロフェッショナル芸能集団アワレム(Awalem、Awaleem)について
●アワレムとは?
※単数形をアーリメと呼ぶ。ここではアワレムで統一。
プロフェッショナルの芸能集団。
知識ある者、と称され、
実際に教育を受けていて、歌詞の意味やマカーム、リズムの知識もあり、語学にも堪能。
踊りも上手でレベルが高く、客筋も良く、お金持ち又はハイレベルな人しかアワレムに仕事を頼むことが出来ない。
燭台を頭に乗せて踊ったり、ジルを叩いて踊ることが出来る。
●ガワージーとの違いは?
ガワージーはアワレムより身分が低く、例えば結婚式などで花嫁のお世話もする。
●現在のベリーダンスの祖と称されるダンサーBadya masabniとの関係
「Badya masabniはアワレムの1人から踊りを習った」という説もあるが確証がないのでここでは明言を避けます。ですが、「アワレムやガワージーはその場でしか踊らないので、ステージで広く踊れるように踊りを開発した(アラベスクや多様性のステップはそれまでのアワレムやガワージーの踊りには見られない)」との言葉があるので、影響があったのは確かである。
●学問的視点から論じられるアワレム
-中東研究家 若林哲史 「中東の暮らしと文化」より-
「アーリメ」とは、エジプトにおける歌舞音曲の訓練を受けた芸妓を指す。「アーリメ」 というアラビア語には、「女師匠」という意味合いがあり、本来、大衆芸能を担った踊り子たちより格上の職業であった。後者の踊り子は、1817 年にはエジプトに 6 ~ 8 千人い たと推定され、風紀を攪乱する賤業とみなされた。ところが 1834 年、当局によりカイロ における踊り子の活動が禁止されると、彼女らは「アーリメ」と称して稼業を続け、「アーリメ」と踊り子の境界は消失してしまった。
※注 ここでいう「踊り子」は「ガワージー」を指すと思われる
●About aleawalim dancing in the Abbasid era in Egypt.
アッバース朝時代のエジプトにおけるアワレムダンスについて-出典Nasra Emam-
シャフィーカ・アル・キブティーヤ、と呼ばれるダンサーがいます。こちらはオリエンタルダンスのアイコン(理想的なイメージ)として語られます。
アッバース朝以来、オリエントの世界(ここではイスラム教世界の版図を指す)では、シャフィーカアルキブティーヤと並ぶ程の富と名声を獲得したダンサーの目撃例はありません。
なので、我々が見ている(オリエンタルダンスの)全ては、シャフィーカアルキブティーヤが基礎になっており、彼女の影響はダンスのみに関わらず、コスチュームや、化粧法、豪華さまでも、現代に至るまで続いています。
●アワレムを代表するダンサー、シャフィーカアルキブティーヤ(Shafiq Al-Qibtiya)について
彼女は、学生でお金も名声も無い家族出身でした。
彼女はベリーダンスを愛していました。
ある日、彼女は結婚式に招待されました。
彼女はお祝いの場でダンスを披露し、そしてシャフィーカは、彼女の場所で踊るよう招かれました。
シャフィーカはエジプトのショブラという下町に住む庶民の家族出身です。
ですが、彼女が踊ると喜びに満ち溢れ、このダンサーは予想以上に素晴らしく不思議なほどでした。
なぜ彼女は踊りも習ってもいないのに?
なぜナイトクラブや結婚式で踊っていないのか?
遂に、シャフィーカは、家族から逃げ出すように去り、ダンスを更に学び、そしてナイトクラブで踊るようになりました。
彼女はとても有名になり、この時代に大金持ちになりました。(出典 Nasra Emam)