Nenuphar/松本眞寿美
ベリーダンス人気が高まりはじめた2000年代初頭に開催された、踊りと音楽のお祭り「マハラジャン」。イベントを主催していたNenuphar(ネニュファー)に、エネルギーと個性に満ち溢れたその様子を聞いてみました!
●プロでもアマでも関係なく踊れるステージ
-当時は日本ではベリーダンスを習える場所は数えるほどで、ダンサーが踊りを披露するのもレストランがほとんど。だから活躍中のダンサーに気軽に学べて、誰もがステージでパフォ―マンスを披露できる場を作りたい、と自分たちが楽しみたい一心で企画しました。
お手本にしたのは、私がアメリカ滞在中に出会ったベリーダンスのフェスティバル「Rakkasa(ラッカーサ)」。電話受付をして参加費を払えば誰でも参加できるというスタイルもラッカーサと同じです。
●ベリー人気の高まりとあわせて毎年規模拡大
-「Maharagan(マハラジャン)」とはアラビア語で「お祭り」という意味。
第一回目は出演者も7人だけ。皆さんほぼ所属スタジオはバラバラで、そのうち1人はレッスンを3回しか受けたことない生徒さんでした。
お客さんもいろいろなスタジオから集まりました。<教室の枠を超えたイベント>をはじめて体験した方がほとんどで、なかなか衝撃的だったようです。「次は私も出演してみたい」と参加者が集まり、2年目には45組60名、3年目には2日間開催できるようになりました。
-主催といっても私は日時を決めて会場を押さえて…要は<箱>を作っただけ。基本的に素人の手作りイベントだから失敗やトラブルの連続でしたが、皆あたたかい気持ちで見守りたくさんの方がボランティアスタッフとして協力してくださいました。
ただ、さすがに個人で運営するには規模が大きくなりすぎてしまって。7回目となる2006年、大きなホールで開催したのを最後にマハラジャンは終了しました。
●マハラジャンから生まれたスターたち
-ベリー歴など関係なく参加できるから、なかには「これはベリーダンスなの?」というようなものもありました。でもそこは、まぁお祭りですから(笑)。
でも商業ベースではないからこそ生まれるものってありますよね。型がはっきり決まっておらず許容範囲も広いベリーダンスは、そんな自由な発想やパワーと相性のいいアートなんだと思います。
-とくにお客さんから人気を集めたのは、美しい「SAMANYOLU(サマンヨル)」や会場を一体にして盛り上げた「タブラクワイエサ」のパフォーマンス。
―<AHO★スター>もマハラジャンを代表するスターのおひとり!
-もともとはスタジオの夏合宿で披露していた隠し芸的なものだったようですが、回を重ねるほどにクオリティがあがっていき、毎年ファンを獲得していきました!
●SNSのない時代、ダンサー交流の場に
-一律3000円のチケットを買えば一日中ステージを楽しめるのですから、とにかく会場の熱気がすごかった! 習っているスタジオとは違うスタイルを知ったり、お気に入りのダンサーを見つけたり。観る人からすると「宝探し」のような感覚だったようです。
パフォーマンスが終わって観覧席にいるダンサーに「ステキでした」と声をかけたり、「今度一緒にショーしましょう」と連絡先を交換したりすることも多かったみたい。今のようにYoutubeやSNSなどない時代、ダンサー同士が交流する貴重な場となっていたのも嬉しかったです。